お雛さまの季節はとうに過ぎてて今更だけど、
伊勢二見の賓日館(ひんじつかん)にて、
10日まで展示されてた数々のお雛さまを、ピックアップしてご紹介

ここ数年、日本各地で町興しの1つとして、
「おひなさまめぐり」ってのをしてるところが多い。
町の商店街や個人宅の軒先に、それぞれの家のお雛さま
を飾って、それを見て回るというもの。
お雛さま
というと、こちら愛知県では、足助町の「中馬のおひなさん」が、今年で21回目で、
展示されるお雛さまの年代も種類も幅広く見応えがあるし、
毎年この時期に徳川美術館で展示される「尾張徳川家の雛祭り」は、
さすがに圧巻

だけど、地方によっては、
ただ数の多さを誇るピラミッドや大階段などの展示を呼び物にして、
単に飾らなくなった雛人形のリサイクルにしか思えないところも。。。

さて、「おひなさまめぐり in 二見」
今年で15回目だそうだけど、
名古屋から150㎞・2時間も掛けて行く価値はあるかしら
事前にネットで調べまくったら、展示箇所は約90件に上り、
そのメインの賓日館では「和紙人形のお雛さまの展示もある」とのこと。
過去の展示写真を見てこれなら~と、せっせと出掛けた訳

その結論はというと、
寝坊とド渋滞のせいで、その90件はほぼ回れず、賓日館だけになっちゃったけど、
それでも見応えは十分
何しろ、賓日館だけで1000体を越え、バラエティーに飛んでたの。

その雛人形をご紹介する前に、
雛飾りについてちょっと豆知識を。

「雛飾り」として飾られるようになったのは、江戸時代。
江戸初期は、立雛も座り雛(寛永雛)も男女一対の
内裏雛
だけで、十二単の「元禄雛」・大型の「享保雛」・極小の「芥子雛」の流行を経て、
江戸後期には、平安装束に忠実な「有職雛」が現れ、
その後今に繋がる「古今雛」が登場
18世紀末から囃子人形が付き、幕末までには官女・随身・仕丁が付随して
今多くみられる15人飾りになったとか。
「御殿飾り」と呼ばれる御殿付き雛飾りは、関西とその影響の有った地方だけで、
関東では今も昔も用いられなかったそうよ。
それと、
内裏雛で、男雛を右(向かって左)側に配置するようになったのは、
西洋化に伴って大正天皇が即位で右に立たれてから。
それ以前は、左の方が位が高いとされてきたから、帝である男雛が左だったそう。
西日本では今でもこれに準じてるところもあるとか。
では、その江戸後期のお雛さまから、年代順にご紹介

この賓日館に展示されてるお雛さまは、三重県各地に住む方からの寄贈で、
三重は関西に入るから、この時代は御殿飾りがほとんど。
だけど

この
7段飾りは、東京高島屋で買われたもので、関東仕様だったみたいね。
「御殿飾り」を中心に展示されてた部屋
御殿の形は時代や地域によっていろいろで、
屋根のない屋敷のは「源氏枠飾り」と呼ばれ、こちらは昭和初期で衰退。
戦後復興した昭和30年代は金飾りが付いて華やかになったみたいね。
しかし、昭和40年高度経済成長期に入ると、この御殿飾りはばったりと消え、
東西関係なく、今の段飾り様式になっちゃったみたい。
昔の記事でもちらと書いたけど、、、
私自身のお雛さま
は、現代に通ずる御殿のない5段飾り。
私が生まれたのは、ちょうどその転換期で、
母も私も愛知生まれ・育ちで関西ではないけど、
母は御殿飾りのを買うか迷い、
御殿飾りの人形は小さくて子供

には見えにくいだろうから、と止めたとか。
まぁ、子供にはそれが正しかったんだろうけど、
今、価値的に思うと、私は御殿飾りが欲しかったなぁ~


7段飾り(昭和のもの)の展示は、
前記事に紹介した大広間にずら~っと並べられてたけど、
どれ見ても大差なく変わり映えしなかったので、ご紹介もパスね

次に、この賓日館に展示されてたお雛さまで、変わりどころを3つご紹介

まずは、伊勢らしく「
真珠のお雛さま」

それから、こちらも伊勢にちなんで「ご神木雛」
もう1つ、写真に撮ると小さく見えるけど、1畳ぐらいあるご立派な「駿府雛」
まだまだご紹介したいお雛さまがあるのだけど、長くなるのでまずはここまで。
「平成を振り返る皇室雛」は次の記事にて。

No title