一昨日の4月6日(日)、半年に一度の着付教室の修了パーティーが
名古屋城西隣のウェスティンナゴヤキャッスルホテル
で行われ、 (その模様は、また後日別記事で)
その会場となった二階の「天守の間」からの眺めをまずご紹介
まさにその名の通り、部屋の目の前には外堀を挟んで、名古屋城の天守閣
がでで~んと。 左手角に見えるのは、重要文化財である西北隅櫓(戌亥櫓とも清須櫓とも言う)
「尾張名古屋は城でもつ~
」と詠われる通り、名古屋城は金鯱と共に、名古屋のシンボル
この金鯱は、戦後復元の2代めなんだけど、一対で金
88kg使われてるそうな。 大きさは、高さが約2.6m前後、写真上・屋根南側が雌で、写真下の屋根北側が雄
形が微妙に違うの分かるかな~
ここで、名古屋城
について、ざっとご説明を
名古屋城の起源は、16世紀初め今川氏が尾張進出で築いた「柳の丸」と言われ、
それを織田信長の父・信秀が奪取して「那古野城」と改名、
信長の居城でもあったけど、清洲城に移ってからは廃城。
1612年、徳川家康が9男義直のために、今の城郭を築城し、
尾張徳川家17代の居城として、明治まで続いたとか。
その後、明治維新後の城の取り壊しも逃れ、1891年の濃尾大地震にも耐え、
一時、宮内庁管轄の名古屋離宮として使われ、1930年に名古屋市に下賜。
現存してた大小の天守閣や本丸御殿・その障壁画など、当時の国宝指定も受けたけど、
1945年の太平洋戦争・名古屋空襲で炎上
して消失。
1954年(昭和34年)、復元の金鯱と共に、天守閣再建(外観復元・コンクリート建て)
本丸御殿復元は、バブル崩壊などでなかなか進まなかったけど、
ようやく2009年から着工して、2018年完成目指して、只今工事中
折角なので、パーティー終了後、訪問着
姿のまま、その名古屋城
の花見へ。
前記事でも書いたけど、
名古屋地方は、先週半ばに一気に桜
が満開となり、 金土と雨がパラついて、風も強かったので、早くも散り始めたところも。
名古屋城もその1つで、5年前に見に行った時よりも(その時の記事はこちら) ちょ~っと葉が目立ってきてたかなぁ。
今回は、ちょっと陽が傾き始めた午後3~4時頃の撮影
写真の明るさ、少々調整してあります。
外堀沿い
正門前
これ撮影したの帰宅前の4時半頃なんだけど、まだ観光バスがずら~っと・・・
正門入って目の前、西の丸(ちなみに城内入場料は500円)
手前の枝垂れ桜がお見事
更に、表二之門を通って内堀の内側に入ると本丸
ほぼ正方形の敷地で、その北西角にで~んとそびえるのが大天守閣
それに繋がって南側に小天守閣
大天守は層塔型で5層5階、地下1階、その高さは55.6メートル(天守台19.5メートル、
建屋36.1メートル)と、18階建ての高層建築に相当するそう。
この再建された天守は、外見は忠実に昔のまま、
中味は、エレベーター完備の鉄筋コンクリートで7階建て仕様になってるわ。
本丸ほぼ中央、天守閣の南東に広がるのが、本丸御殿で、
只今は、素屋根(工事用の覆い)で囲われてるわ。
現在その復元の第1期分が完成し、昨年5月から一般公開中

全部の完成は2017年末とか。
天守閣には今回も昇ってこなかったけど、
その公開中の
復元本丸御殿は、並んででもしっかりと見てきたわよ

その中の金蘭たるさま

は、別記事でアップするので、お待ちを~

ところで、この名古屋城には、約1000本の桜が植えられてて、
ソメイヨシノが多い中、
山桜
や
オオシマザクラ、
枝垂れ桜
、
既に葉桜となった寒緋桜・大寒桜・江戸彼岸桜、
まだ蕾でこれから咲く八重桜と御衣黄(ぎょいこう)も植えられてるそう。
二の丸庭園もパスしちゃったので、その御衣黄確かめてないけど。
桜以外にも、何種類かの
椿がまだ咲いてて、
リュウキュウバイ
も見かけたわ。
最後に、内堀側から眺めた大天守閣

加藤清正が築いた
天守台石垣はみごと
あちこちで桜

の絨毯が見られ、桜の時期ももう終わりね~
今年の桜は、特にあっけなかったように思うわ。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
No title