6日(日)に、満開の桜(ちょっと散り始め)
を見に、 着付教室の修了パーティーの後に立ち寄った名古屋城
でも、桜以上に見たいなぁと思ってたのが、復元された名古屋城本丸御殿
1612年徳川家康によって築城され、本丸には大小の天守閣と本丸御殿があったの。
(本丸御殿の造営は1615年、その20年後増築)
本丸御殿は、城主(藩主)の居住館として建てられたけど、
1620年将軍上洛の際の御成専用となり、以後住居したのは二の丸御殿。
御成御殿といっても、実際に使ったのは秀忠と家光だけだそうだけど。
京都・二条城本丸御殿に匹敵し、武家風書院作りの双璧と言われ、
近代城郭建築の最高傑作とも言われたとか。
内部は、狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちにより、
部屋ごとに異なる題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、絢爛豪華に彩られてたそう。
1930年(昭和5年)に国宝に指定されたけど、
1945年(昭和20年)5月、空襲により天守閣とともに焼失
天守閣は、1954年(昭和34年)再建(外観復元)されたものの、
本丸御殿は、その後のバブルの崩壊などもあって頓挫。
ただ、取り外すことができた襖絵や天井板絵、それと文献や実測図・古写真などは
避難させてて焼失を免れたので、
それを元に、平成4年から本格的な復元模写が開始され、
建物の方も、2009年(平成21年)ようやく着手よ。
2018年の完成・全公開を目指して、只今工事進行中
で、 その第1期分が、先駆けて昨年の5月に一般公開されたのよ~
長い説明文でごめんなさい。
ようやく、肝心なところにたどり着けた。。。
本丸御殿は、木造平屋建て
木曽の桧(ヒノキ)がふんだんに使われてるわ。
まずは、その平面図見てもらった方が、分かりやすいかな。

右下クリックしてもらうと、大きな画像で見られます。
そのうちの、右下部分の第1期工事部分をアップで。

一番右下角、玄関の前に飛び出てるのが、車寄(くるまよせ)

玄関と車寄の外観
この屋根は、将軍家と身分の高い一部の大名にだけ許された唐破風で、
黒漆塗りに金の金具の屋根は、室町時代の将軍邸の形式で天下人の象徴とか。
屋根瓦は使わず、本丸御殿すべての屋根が、
杉などの木材を重ね敷いた「こけら葺き」だそう。

見学のための入り口は、この車寄ではなく、この右手奥、
玄関と中之口部屋の間に作られ、
中之口部屋が
エントランスホールの役割で、
受付と下駄箱やコインロッカーが
設置されてた。
ちなみに、
この本丸御殿見学は無料
名古屋城自体の入場料
500円は要るけどねぇ。
右の建物が表書院の廊下 正面が大廊下だと…思うわ
建物内は、
公開されて10ヶ月経つけど、
まだ桧の香りがプンプン
最初の見学部屋が、「玄関」
本丸御殿を訪れた人がまず通され、取り次ぎを待つ建物。
あっ、ちなみに、この復元本丸御殿はどの部屋も撮影
OKよ
ただし、フラッシュ
撮影は厳禁
室内は、当時の明るさを考慮して、照明が薄暗く設定されてたわ。
今時のデジカメ
は、フラッシュ無しでも明るく綺麗に撮れるけど、 オート機能が勝手に色調節してくれちゃうのと、
金箔は、見る方向・照明の反射などで、色が違っちゃうので、
以下の写真、微妙に現物と色が違うかもしれないけど、悪しからず。

玄関・一之間


玄関・二之間より一之間を望む
玄関といえども、
一之間(18畳)
二之間(28畳)とあり、
一之間には床の間まである
四周の壁や襖は、金箔張りに
竹林と勇猛なトラ
や豹の絵
もう、豪華絢爛
玄関から圧倒されるわ。
これら障壁画は、
創建時の鮮やかな色そのままに
忠実に復元模写したもの。
コピー印刷を貼った張りぼての
撮影セットと訳が違うわ。

玄関・二之間
次に見学したのが、「表書院」
正規の謁見用に用いられた広大な建物で、
上段之間(15畳)、一之間(24畳半)、二之間(24畳半)、三之間(39畳)
納戸之間(24畳)の5部屋からなり、
江戸時代には大広間と呼ばれてたところ。
こちらの障壁画は、松・桜・雉などの華やかな花鳥図

表書院・三之間
天井も、玄関が竿縁(さおぶち)天井だったのに対し、表書院は格(ごう)天井。
こちらは、表書院の広縁 シンプルだけど格子が綺麗~
表書院・二之間

表書院・一之間

表書院・一之間から上段之間を望む
上段之間は、床も一段高くなり、天井も折上げ小組格天井で、格が高いわ。

表書院・上段之間・床脇棚の天袋の扉絵

表書院・上段之間・床の間 
付書院(広縁側より)
表書院・上段之間・帳台構(ちょうだいがまえ)
ウィキペディアによると、
書院造の上段の間は、正面に床と床脇棚が並び、広縁の側に付書院、
そしてその反対側に帳台構えを設ける。
帳台構えは、敷居を畳より一段上げ鴨居を長押より一段低く設けた区画に4枚の襖絵を入れる。
中央の二枚は左右に引き分けることができるが、外側の二枚は嵌め殺しとなっている。
引手には組緒を総角(あげまき)に結び端に房を付けて提げ、
帳台構えの敷居鴨居とその間に立てられている縁(ふち)はすべて黒塗りとし、
その上から金鍍金の金具を打ちつける。
との説明で、今まで何気なく見てた書院作りの様式が、よ~く理解できたわ。
この表書院が、この名古屋城本丸御殿の中では一番広く、格式を重視した建物だそうよ。
残りの溜め之間は、この本丸御殿復元のための基金
へ支援された方のうち、 ヒノキ募金(一口5万円以上)をした方の名前一覧表が展示されてたわ。
募金の種類はいろいろあって、小額ので1千円から。
ちなみに、この本丸御殿復元工事にかかる総費用は、150億円だとか。
むか~し、名古屋市長選挙だったか、
「復元とり止めて、その分のお金を福祉に回せ~」と訴えた人がいたなぁ。
歴史好き・衣裳建築好きな私としては、復元に賛成だったけど。
話し横道に逸れました。
最後に、
素屋根の中の、まだ建造中の建物群と復元工事の様子も、
見学通路から見ることが出来るのよ。
ただ残念なことに、日曜日は工事休みで、私は見学できず、
復元工事の展示館のみ覗いてきた。
素屋根の中を写したモニターTVの画像

こけら葺き屋根の構造見本
2年後・4年後と公開部分が増え、本丸御殿の全容が見えるのが、楽しみだわ~
長々と最後までお付き合いして下さって、ありがとうごさいました。
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