GWに出かけた長野県阿智村の
花桃の里(その記事は
こちら)の後、
そのまま高速走って帰ってくるのも勿体無いと思い、
国道256号線・はなもも街道を1時間ほど走って、
妻籠へ


妻籠(つまご)は、長野県南木曽町にある元宿場町
妻籠宿は、中山道の69あるうちの42番目の宿場で、
隣接する馬籠宿(現在岐阜県中津川市)と並んで、木曽路の代表的観光地
妻籠宿は、明治になり鉄道や道路が整備されると、
宿場としての機能を失い、衰退の一途をたどったけど、
昭和40年代に集落・景観の保全運動にいち早く取り掛かり、
1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたそうよ。
ちなみに

馬籠(まごめ)は、文豪・島崎藤村のふるさとで、
藤村の生家である馬籠宿本陣跡には、藤村記念館が建ってる。
藤村の母の生家が妻籠宿本陣で、明治に至るまで島崎氏が務めたのだとか。

並ぶ車のすぐ上に写ってる民家が、妻籠宿の裏から見た風景
家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という住民憲章を作り、
江戸時代の町並みを保存しつつ、今も生活してるサマが見て取れるかな。
その江戸時代の町並みという、表の顔はこちら

日本で最初に宿場保存事業がされた寺下の町並み
馬籠は昔の石畳をそのまま残してて、道幅それほど広くないけど、
妻籠はアスファルト化され、道幅も広いわ。

木賃宿(きちんやど・一般旅人の自炊を伴う宿)であった上嵯峨屋
(昭和44年に解体復元)
庶民の住居だった長屋の一部・下嵯峨屋(昭和43年に解体復元)

枡形は、宿場の両端の街道をクランク状に曲げた場所。
もともとは、有事の際に敵を迎え撃つための設備だったそう。

突き当りが曲がってるの、わかります

阿智村の花桃の里で、お餅と五平餅

食べただけだったので、
この妻籠の中の手打ち蕎麦屋で、遅い昼食

本当は、いくつかある茶処

で栗汁粉食べる予定だったのに、
お蕎麦食べてのんびりしてたら、午後4時オーダーストップで食べ損ねた。。。

仕方なく、栗のソフトクリーム

食べ歩きしてたのだけど、写真撮り忘れたわ

店先には、さりげない花飾り
江戸時代の町並みそのままで、
旅館・民宿、食事処、お土産や
いろいろ営んでて、
全部で約70件が立ち並んでた
午後4時半ごろ、
曇りで薄暗かったせいか
早くも外灯が灯り始め、
既に人影もまばらでしんみり

そういえば、GWの割には、
人少なかったな~
馬籠の方が人気よさそう
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